輸出しょうゆ第1号
寛文8年(1668)の秋、インド東海岸へ向けて一隻のオランダ船が長崎港を出港、
船上にはさまざまな品とともにしょうゆ12タルが、貴重品並みの扱いで積み込まれていました。
日本からはじめて外国にわたった第1号しょうゆです。これはオランダ東印度会社の日本支店長、
甲比丹(かぴたん)ランストが出入りの商人たちにはかったあげく、実現したものです。
ルイ14世のかくし味
美食家で知られたフランスのルイ14世は、日本のしょうゆを
宮廷料理のかくし味として用い、大いに自慢したと伝えられています。
当時、しょうゆはオランダ人の手によってヨーロッパへ運ばれていましたが、
相当高価なものだったらしく、宮廷や王室専用の調味料として
貴重品扱いされていたようです。
それにしても、この東洋の液体スパイスが、豪華けんらんの夜会の席で、
ヨーロッパ貴族たちにもてはやされていたとは、愉快な話ですね。
金富良醤油瓶
コンプラしょうゆびん。
この奇妙な名前のビンこそ、オランダ向け輸出しょうゆの容器だったのです。
現在、初期の頃に作られたものは、数万円もしますが、
すべて長崎の波佐見焼の製品。
高さ16.5cm(5寸)、540ml入り(3合)で、
腹にJAPANSHZOYAの文字が入っています。
「日本のゾーヤ」の意味は、日本のしょうゆ。
オランダ人の耳にはしょうゆの音が、ゾーヤとかソーヤ(SOYA)
と聞こえたらしく、現在のオランダ・ハーグ文書館に残されている
日蘭貿易記録にも、この二つの書記で、
しょうゆのことが書かれているといいます。
トルストイの一輪差し
「不如帰(ほととぎす)」の作家・徳富蘆花が、明治39年、
ロシアのヤスナヤ・ポリヤナに文豪トルストイを訪問した時のことです。
応接間に通されて、トルストイの机の上を見ると、
そこにはあの金富良醤油瓶に花が差してあったのです。
トルストイがいつもこの一輪差しを愛用していることを知って、
蘆花はひどく感激したそうです。
このエピソードはまた、日本のしょうゆがオランダばかりでなく、
幕末の頃に長崎へ寄港していたロシアの船によって、
母国に持ち帰られていたことを物語っています。
TERIYAKI
いま、アメリカですっかり定着したのが、しょうゆとしょうゆを使ったTERIYAKIです。
ウェブスターの最新辞典にも「肉や魚をしょうゆに浸してから焼く料理」として、
TERIYAKIが出ているほど。
ニューヨークにある放送局WORが、しょうゆを使った料理コンテストを催したら、
1200人もの応募者が集まり、コネチカット州のハイラ・スナイダーさんが、
「シュリンプ(小えび)の照り焼き」で見事に優勝しました。
ワシントンやニューヨークといったアメリカの大都会の一流レストランでは、肉料理のメニューに
必ずTERIYAKIをのせているほどの人気です。「テリヤキ・ステーキ」とか
「テリ・バーガー」などは、かなり普及しています。